小説とは違う視点も織り込んだドラマ『アンという名の少女』が、目を離せない
『アンという名の少女』(カナダCBS・ネットフリックス2017年)の続きです。
以下、ネタバレ注意
社会問題も描かれる
家の中のランプの明かりや暖炉の灯火の暗いトーンという彩度が低く抑えらた映像やカナダのプリンスエドワード島の雄大な自然が美しく視覚的に楽しませてくれます。
マニラが磨きぬいたキッチンの食器や調理道具が美しく、マーガレットハウエルのようなカーテン布やインテリアも可愛いです。
アンのセンスで、身近にあるものを使って飾りつけられたテーブルセッティングにお茶会を彩る食器やお茶やお菓子達は想像以上に素敵で、ダイアナとのお茶会のわくわく感や美しさに加えて悲しさや切なさもあって見事でした。
ドラマは、児童虐待、ネグレスト、児童労働、教育、孤児への偏見、女性差別、フェミニズム、ジェンダー、いじめ、介護、地域の閉鎖性、民族差別など「社会的問題」なども落とし込んでいるところが小説と比べて重くなりますが、リアルで現代にマッチしています。
誰かが困っていれば「自助」と突き放すのではなく、普段は、煩わしさもあるけれど村という小さな共同体で当たり前に「共助」が機能している豊かさがうらやましいです。
ドラマでは、アン以外の人の生き様や絆を丁寧に描いていて、生きて生活をしているもの達に息を吹き込み「重層的」な作りになっています。
『アンという名の少女』は、むしろ「日常」の中に美しさや楽しさを発見出来る素晴らしさがあるということに気づかせてくれるドラマだと思います。
最終話は、波乱に満ちて心ある人の助けやアンの機転によって乗り越えましたが、次のシーズンでも一悶着ありそうな終わり方でどうなるのか目が離せないです。
責任感や周りを優先するマニラやマシューが、自分で選べなかった道も経験しているというエピソードもありアンには、「私は、自分の物語を生きる」という言葉通りこれから自分の道を切り開いていくだろうと予想されます。
ジョセフィンおばさんの「自分らしい、自分の人生を生きなさい」という言葉は、アンを前に進ませてくれることでしょう
愛してくれる大人がいるということ誰かに守られて暮らすということで様々な「愛のかたち」を学び大人になっていくアンの今後が楽しみです。
国民的なドラマだった『大草原の小さな家』みたいに、インガルス一家の子ども達の成長を皆で見守ったように多くの人に見てもらいたいドラマです。
これってNHKの「大河ドラマ」でやってもいいくらい。
日曜日午後11時という遅い時間帯では、もったいない。
でも、性に関するエピソードがあるから難しいのかな。
しぼり菜リズム
ドラマ『アンという名の少女』は、マリラとマシューの愛情を受け、人並みに学校や教会に通い、友人や村人とも接するようになり体と精神も成長し少女から大人の女性になっていく過程や本来持っている明るさや優しさが引き出されていくいく様子が描かれる『アンという名の少女』は、アンの成長物語なのだと思いました。
マニラとマシューの子どもになったアンは、何てついているのかマニラとマシューに出会わなかったらアンの人生は、全然違っていたのだと思いました。
マニラとマシューもアンと出会わなければ、淡々とした彩の少ない人生だったはずでアンとの出会いよって二人も幸福な人生を送れたのではないかと思います。
自分の不幸ばかりを嘆いていたアンが、もっと世の中には、辛くてどうしようもないことがあるとギルバートと出会て気づくようになり精神的に成長していきます。
ダイアナと孤児としてきちんと教育されていないアンとの対比が描かれダイアナが、アンの引き立て役みたいなところもありアンが不憫に感じることもありましたが、ダイアナなアンを見下すこともなく愛情に飢えた、ひとりぼっちのアンに女の子達を仲立ちし調整役になってくれ懐の深さが、素敵です。
ドラマは、児童虐待、ネグレスト、児童労働、教育、孤児への偏見、女性差別、フェミニズム、ジェンダー、いじめ、介護、地域の閉鎖性、民族差別など社会的問題なども落とし込んでいるところが小説と比べて重くなりますが、リアルで現代にマッチして新鮮です。
愛してくれる大人がいるということ誰かに守られて暮らすということで様々な「愛のかたち」を学び大人になっていくアンの今後が楽しみです。
1.2