アンという名の少女
『アンという名の少女』(カナダCBS・ネットフリックス2017年)をNHKで放送しました。
原作は、有名な『赤毛のアン』(モンゴメリ)です。
『赤毛のアン』とシリーズは、中学生くらいの頃夢中になって読んだ本です。
ストーリーは、うる覚えですがアンや友達の女の子が着ている洋服が素敵だったのと、袖の膨らんだ(「パフスリーブ」っていうの当時は、「ちょうちん袖」なんて言ってような)ドレスのこと、レモンパイ、ガトーショコラ、さくらんぼの砂糖漬け、プディングだったかマリラ直伝の見た事も聞いた事もない外国のお菓子に想像力を膨らませ心がときめいたものでした。
プリンスエドワード島や「グリーン・ゲイブルス」の周りの自然豊かな風景、アンのたぐい稀な想像力で語る詩的な世界やお茶会のテーブルセッティングや食器や部屋の家具などのライフスタイルが未知のもので思いを馳せていました。
そんな記憶のある小説『赤毛のアン』とは、少し違う展開があるようですが子どもの頃読んで感じたこととリンクさせながらドラマの感想を書きました。
以下、ネタバレ注意
アンの成長物語
最初ドラマで見たときはアンは、こんな女の子だったけと思いました。
見た目は、小説のイメージと変わりませんがとにかくよく喋るし、アンは、孤児院育ちで、躾もされていないので言動に問題があるとは思っていましたがマニラに嘘をついて学校に行くふりしたり、叱られても口答えばかりしたりとこんなただの我儘な子だったかなあと。
かといって、創造の世界で遊ぶことも多いけど決して、内向的で大人しい性格でもなく、どちらかというと感情豊かでお転婆な女の子のイメージでした。
ドラマでも最初は、感情を抑制することが出来ない問題児みたいなところもありますが、回を進めるごとにマニラやマシュー、周りの人達を虜にしていくほどチャーミングで、根はいい子なのだと昔読んだアンのイメージに近づいてきました。
辛い境遇の生い立ちの中で空想の世界に逃げ込むことが「生きていくすべ」でしたが、ともすれば 頭でっかちになり、それに体と心が追い付いていないので、同級生より遅れて迎えた初潮を忌み嫌ったり「ねずみ」(性)の話を堂々としたりしたのかと思いました。
(皆に「性」の話をあけすけにするアンの空気が読めない雰囲気が、とても切なくなりました)
マリラとマシューの愛情を受け、人並みに学校や教会に通い、友人や村人とも接するようになり体と精神も成長し少女から大人の女性になっていく過程や本来持っている明るさや前向きさが引き出されていくいく様子が描かれる『アンという名の少女』は、まさに「アンの成長物語」なのだと思いました。
マニラやマシューがいい
小説を読んでいた子どもの頃は、当時はアンと年齢が近かったので主人公アンにしか目がいかなかったのですが、ドラマを見てからは、マニラとマシューが不器用だけどアンに一生懸命に寄り添おうとしているところが随所に描かれてこの兄弟が一気に好きになりました。
このドラマは、マニラとマシューの二人の慈愛の物語といってもいいくらいで、ドラマで二人の人となりがあってこそのアンの魅力が開花したのだと思いました。
本を読んでいたので当然のようにアンの視点から見ていたが、ドラマを見てからは、マシューやマニラの視点から見るようになりすると描かれる世界観が少し違ってきました。
子どもの頃読んだ記憶も蘇る場面もあり、子どもの立場と親の立場という両方の気持ちが分かります。
マニラ
子どもの頃は、美味しそうなお菓子を作るところはいいなあと思っていましたが、マニラは随分、厳しい人だなあと少し苦手だった記憶がありました。
でも、マリラに近い年齢になってからは、マニラの背筋をピンと伸ばした1本筋が通った生き方や質実剛健ながら料理が上手で綺麗好き、アンを理解しよう、寄り添おうとする彼女なりのアンへの愛情が感じられアンは、マニラの家族になれてつくづくよかったと思いました。
マニラは、最初は、アンを責めたりしていたが「あの子が何を見聞きしてきたかは、あの子の責任ではない」と庇いアンの味方になったり、アンの背中をさすったり、額に優しくキスしたり、念願のドレス姿に「兄さんは子どもに対して甘やかし過ぎる」と言いながら微笑む場面など徐々に「母性」が目覚めアンの母親になっていく様子が素晴らしいです。
そして、アンに渡した水色のリボン、これが、ジョン・ブライスからマニラへのプレゼントだったなんて。
アンへの愛情の深さが感じられます。
マシュー
マシューは、子どもの頃も変わらずアンの味方で優しいイメージで好きでしたが、思慮深くて優しくてアンを傍らから見守るマシューは、ドラマでも本のイメージ通りです。
マシューの「かわいそうでならない。まだ知らなくていいことを知ってしまった」という言葉は、生きる環境を選べなかった子どもであるアンを責めるのは余りに筋違いだと胸に刺さりました。
マシューの優しさを象徴する幼馴染で初恋(?)の店主の女性とのボタンのやり取りのエピソードを入れた6話の『固く結ばれた糸』は、大好きな回で、マシューのことがますます好きになりました。
マシューがアンのために、前から欲しがっている袖の膨らんだドレスを作るために思い切って婦人服店に入るところなど予想される展開が想像されてこれだけでウルウルきそうでした。
こんなマニラとマシューの子どもになったアンは、何てついているのかマニラとマシューに出会わなかったらアンの人生は、全然違っていたのだと思いました。
でもアンにも、幸福を引き寄せる力やマニラとマシューを虜にしてしまう魅力もあったのだと思います。
マニラとマシューもアンと出会わなければ、淡々とした彩の少ない人生だったはずでアンとの出会いよって二人は、心強く豊かな人生を送れたのではないかと思います。
ギルバートやダイアナ
本を読んだにもかかわらず実は、ギルバートやダイアナの記憶があいまいです。
ダイアナは、アンが憧れるような可愛い洋服を着た友達がいたなあ程度で、ギルバートにいたっては後にアンと結婚するのだったと知ってびっくりしました。
それほど物語の内容を忘れてしまっているので、ドラマの二人には先入観なく見れました。
ギルバート
癪に触ったギルバートは授業中にアンの髪の毛を引っ張って、「にんじん、にんじん」とちょっかいを出すような男の子かと思いきや実は、自分がモテる男と分かりつつ、こういう世俗的なことには価値観を見出すことがないので、アンの「本質」を瞬時に見抜いたのだと思います。
父親の介護を担っている「ヤングケアラー」でありその父親も亡くなってしまい自立せざる得なかったギルバートは、同年代の子達に比べて苦労も知っているので大人です。
そんなギルバートに素直になれないアンは、ただモテモテで優等生でしかないと思っていたけどギルバートの方が、自分より大人だと分かりもうイライラしないと大人になることを受け入れます。
今までは、自分の不幸ばかりを嘆いていたアンが、もっと世の中には、辛くてどうしようもないことがあるとギルバートを見て気づくようになり精神的に成長していきます。
ダイアナ
ダイアナは、両親の愛情をたっぷりと受けて育った比較的裕福な少女でごく普通の感性の持ち主ですが、アンの個性を受けとめるだけの広い心があるので、たとえ違った環境で育っても二人が気が合いアンの無二の「親友」になりうるのだと思いました。
そのダイアナと孤児としてきちんと教育されていないアンとの対比が描かれダイアナが、アンの引き立て役みたいなところもありアンが不憫に感じることもありました。
でも、ダイアナは、決してアンを見下すことなくそれどころか、常に愛情に飢えたひとりぼっちのアンと女の子達とのパイプ役になるような懐の深さや優しさがあります。
(アンと対照的で、ダイアナの「洋服」も金持ちの印であるフリルやギャザーやレースがたっぷりで、生地も仕立てもよさそう)
アンもダイアナもお互いのことが大好きなので、「お茶会ワイン事件」で、一切の関わりも許されなくなった二人が、大人から見れば大げさな「友情の儀式」をしたことはあの年代にとってそれが、「この世の終わり」みたいな出来事だったからだと思います。
小説とは違う視点も織り込んだドラマ『アンという名の少女』が、目を離せない2
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