私の記憶遺産【としまえん】。としまえんの「おもいで」綴りました
続きです。
中学以降
中学のときに「練馬区民」になり一番、嬉しかったことは、としまえんが近くなったことです。
だから、中学生になるとすぐに「木馬の会」(年間パスポート)に入り、一年間、毎週のように通っていました。
体力もあった中学の頃は、夏はプールに入って、午後、遊園地で遊んで、夜は、花火と1日中遊んだこともありました。
プールといえばよく一緒に行った同級生の女友達の少々派手めな水着(ビキニ)が制服姿とは違って大人っぽく、とても私と同学年だとは思えなかったです。
この頃は、「流れるプール」に「波のプール」も出来ていて夏休みや週末のプールは、いつも芋の子を洗うように混んでまともに泳げた記憶がないです。
そういえば、中学のときに同級生男女3対3でとしまえんに行き、そのうちの一組がカップルになりました。
(私じゃないよ。)
男女3人というグループデートのようなメンバーは、奇数なので、二人乗りの乗り物では、自然、男女1名づつカップルになって乗ることになります。
二人乗りの「ミステリーゾーン」で、乗る組み合わせをリーダー格の男子が決め、その子が自分の意中の女子と組むように仕組んで、そこで仲良くなったみたいです。
(実は、女の子も、この男子に好意を持っていたからよかったけど、お化け屋敷の暗がりの車中(しゃちゅう)で男の方が、女の子にいきなり、チューしちゃったみたいです。告白より、先にね)
まあ、遊園地って、人が大胆になれるような高揚感がありますよね。
としまえんの乗り物には、動く度にお尻が滑って片方にズレ、隣に座った人の体に寄り掛かってしまうものもあるので(人が居ない方にズレると乗り物に当たって痛い)、一緒に乗った相手によっては、ドキドキすることもあり、男女の仲を取り持ってくれる効果もあるのかもしれません。
年間パスポートで、週末ごとにとしまえんに通っていたので、冬の寒い時期は閑散として「貸切状態」のときがあり乗り物が「乗り放題」でした。
何時間も列に並んだり、優先乗車の整理券を手に入れるために走り回らなければならないテーマパークから見れば天国のようでした。
冬の時期に父と二人だけで、行ったこともあります。
片っ端から乗り物を乗る私に付き合って、その乗り物の近くで(ベンチや休憩所とかではなく)私が乗り終わるまで、寒いのに立って待っていていてくれました。
なので、としまえんは、今は亡き父との思い出の場所でもあります。
この頃だったか、園の目立たない隅っこにある「昆虫館」に「ゴキブリ」の標本とか生きたゴキブリまで展示されていたことがありました。
生きた数百匹のゴキブリが、ガラスケースの中でごそごそと蠢いて、この光景が忘れられず夢に出てくることがありました。
それ以降、私の中で昆虫館を「ゴキブリ館」と呼んで入ったことがありません。
石神井川を渡って、木立の中の階段を上ったところにゴンドラが10機くらいの「観覧車」がありました。
観覧車など子ども騙しみたいだと避けて乗りませんでしたが、知らない間になくなっていて、ゆっくり動く観覧車から、園の様子や周りの景色を楽しんでおけばよかったと後悔しました。
でも、代わりに乗ったことはありませんが、「怖い観覧車」があったのですよ。
何が怖いのって、観覧車のゴンドラが、頂上で、真っ逆さまになって止まるのです。
ゴンドラの中の人は、どうなっているのだろうと眺めているとときどき乗っている人のポケットの小銭が、パラパラと落ちてくることがありました。
逆さまになって頭に血が上らないのか、こんな拷問のような乗り物にお金を払って乗る人の気持ちが分かりませんでした。
社会人
「成人式」の式典もとしまえんだったし、職場の「運動会」もとしまえんの奥にあるグランドで行いました。
職場が練馬区内だったので、仕事でとしまえんの近くを通ることがよくあり、ときどき歓声が聞こえてきたリ、場所によっては乗り物(フライングパイレーツ)が見えて「仕事モード」の気分に水を差しました。
「いいなあ、こんな平日に遊んでいる」って園内の別世界に思いを馳せ、そんな思いがあったから、仕事をサボって(休暇だけど)職場の後輩と平日昼間にとしまえんに行ったときは、「皆が、仕事しているのに遊んでいるぞ」って思い切り「優越感」に浸りました。
年齢と共に上がり下がりのあるジェットコースターなどの垂直「G」が掛かる乗り物が苦手になり、いわゆる「絶叫系」の乗り物全般に乗れなくなりました。
だから、船体が振り子のように揺れ「浮遊感」が半端ない「フライングパイレーツ」は、20代後半に乗ったのが最後です。
このときに比較的揺れが小さい舟の中央に乗りましたが、この場所でも怖くて以降、二度と乗ることがなく、私がフライングパイレーツに乗れた期間が導入から数年間と短かかったです。
そんな中で、今でもギリギリ乗れるのが、「フリュームライド」です。
これは、あまり怖くないのと水路を流れる水に滝の爽快感、乗っているときにプールが見えるのが好きでした。
年々、激しい乗り物が苦手になりましたが、「回転系」の乗り物は案外大丈夫で、「ブレイクダンス」「空中ブランコ」「エスキモー」「イーグル」「ティップトップ」「ラウンドアップ」などよく乗っていました。
特にラウンドアップやエスキモーみたいに回りながら遠心力が掛かる「三半規管」が鍛えられそうな乗り物が好きで、コーヒーカップなども乗ればぐるぐると自分でテーブルを回して高速回転させるほどでした。
歴史ある回転木馬「エルドラド」が、その物語も含めて好きになったのはやはり大人になってからだと思います。
特に夜の電飾が美しく、としまえんの「シンボル」といえば今も昔もエルドラドで、必ず乗ってから帰りました。
最後に行ったのが
乗り物に乗らなくても毎年のように春は「桜」を夏は「花火」を見に行っていましたが、結婚して東京を離れてから行かなくなりました。
離婚して東京に戻り、10年前に主人と再婚する前に行ったのが、最後のとしまえんです。
そのとき、主人が子ども(当時小学校3年生)を連れて来て、初めて主人の子どもと会ったのがとしまえんでした。
主人の子どもは、天真爛漫さや好奇心一杯のキラキラした瞳が印象的な物怖じしない女の子で、初対面から自然に接してくれてこのときには、既に主人と私と3人で「家族」のような気がしました。
私の誕生日が近かったこの日は、主人が用意していた(遊んでいる間は、売店で預かってもらっていた)花束を帰る間際に子どもから渡されて、このサプライズが嬉しくて、今でも昨日のように思い出されます。
(20歳になる子どもは、ずっと昔の話でしょうとあまり覚えていないようです。)
そんな主人や子どもとの思い出のあるとしまえんなので、閉園前に一度、行きたかったのですがコロナで入場制限もしていたので諦めました。
園内には入れませんでしたが主人が、入口の写真だけ撮って来てくれましたのが上の写真です。
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