映画「劇場」同時配信
コロナ渦の影響で公開延期になっていた映画『劇場』(行定監督、又吉直樹原作)が、アマゾンプライムと提携して、劇場公開と同時に配信になりました。
プライム会員であれば、無料で見ることが出来るのでさっそく見ました。
又吉直樹の文芸作品を映画化したものです。
演劇に夢を追う永田とその恋人沙希の7年を描いた切ない「恋物語」です。
夢を追う過程で、二人の関係性が徐々に変化してゆく様子が淡々とアリルな日常生活で描かれて、二人の心の機微を繊細に描いています。
以下ネタバレ注意!
見ていて苦しくなる
この映画、一応恋愛映画なのだけどトキメキ感もなく、主人公永田の抑揚のない一人語りが続き淡々と進むがテンポが、凄く長く感じます。
この永田という男が救いようがなくて、天真爛漫の沙希を追い詰めていく様は見ていて辛くなります。
演劇青年の永田は、才能も甲斐性もなく同棲相手の沙希に精神的DVを繰り返しヒモ同然の生活をしています。
永田は常に沙希の優しさに胡坐をかいているのだけど、相手が離れそうになったら優しくするという暴力の後に優しくなるDV男のようです。
嫉妬深く、自己愛ばかりが強くて思いやりのかけらもない。
それでいてプライドばかりが高い永田を沙希は愛して、ひたすら彼の才能を信じて付いていきます。
まあ、典型的なダメ男を甘やかしてさらにダメになるという二人の構図は、一種の共依存関係で、そのまま7年間も関係に終止符を打てないでズルズルといってしまうのです。
20代の女性にとっての7年は、すごく大きくて、ついには、沙希の方が壊れていってしまいます。
ごく真っ当な女の子が、ダメ男を愛したばかりに壊れていく様子を延々描いていて、見ているこちらも鬱々としてきました。
永田の気持ちも分かるような
永田は、典型的なダメ男なのだけど沙希を追い詰めた永田の気持ちも、何となく分かるような気がします。
永田の演劇人としての才能を信じているのは沙希しかいなくて、自分に才能がないと分かっている分それが唯一の拠り所だったのだと思います。
(そこにしか、自分の存在価値を見出せない)
他の劇団の作品を見て、それと比べて嫉妬して自分には才能がないのだと心のどこかで思っているのだけどそれを認めたくないし、特にそんな胸の内を沙希に気づかれることを永田という男は、一番、恐れていているのですね。
他の誰からも認められなくていいが、沙希からだけは認められたいしそれがなくなると自分が壊れてしまう。
弱い自分を守るために沙希に依存し傷つけてしまう不器用な人間なのですね。
そんな人間的な弱さは、誰にでもあり、大なり小なり自分の中に永田を見ることは私でもあるので永田の気持ちも分からないでもないのです。
永田は決して、根は悪い奴ではなく、むしろ純粋でとても「人間臭い」人間なのだと思います。
辛い日々が、ラストで回収
ラストで、回収
この映画は、長々と永田のどうしようもなさと沙希が壊れていく様子が描かれていて辛くなります。
そして、沙希の永田への純粋な愛を描くほど永田のダメ男ぶりが強調され、ダメ男を突き放すことが出来ない沙希の愛が深いほど永田の嫌な部分がより強調されて痛々しくなります。
でもこれらを描くことは、この映画では絶対に必要だったというのが分かりました。
後半の自転車を漕いで桜を見に行くシーンでは、永田は沙希に対して思っている本音を初めて告げることが出来てほんの少しだけど永田が変わり成長していると感じることが出来ました。
これは、前半の永田の余りにもどうしようもない部分を見てきたから感じることが出来るのです。
二人の痛々しい部分があったからこそのほんの僅かなの希望で、沙希に全てを依存せずとも永田はもう生きていけると思わせます。
二人の想い出の部屋が「劇場」に変わるアパートでのやりとりが演劇に繋がっていくラストシーンの演出を盛り上げたのは、前半の二人のどうしようもない年月があったからだと思いました。
二人の日々が、辛ければ辛いほどラストの仕掛けが生きてくるのだと感心してしまいました。
永田が嫌な奴であればあるほど、沙希の時間をやみくもに奪ってしまったことへの謝罪が効果的になります。
二人の思い出を劇にして語られたラストで、二人の辛い日々が回収されて、一種のカタルシスになっていったのです。
二人は、別れたのか
映画では、二人は別れたかのどうかというは描かれず、見る人に委ねています。
主演でありかつ観客である沙希の「ごめんね」の涙は、最後まで付き合えなくてごめんね。一人ぼっちにしてごめんねの意味で、永田は、そのままなのに自分だけ変わってしまったというごめんねなのだと思います。
なので、沙希は永田との別れを選んだのだと思います。
ただ、ラストの劇は、観客に向けたメッセージというよりも沙希に向けた固有のメッセージで、このメッセージが7年費やされた日々の救いになり、沙希は、新たな一歩を踏み出していけたのではないかと思います。
一方、永田も、この劇中劇で、永田にとってやはり、演劇が全てで彼の希望だということが見え、底から這い上がるきっかけが出来たのだと思います。
俳優の演技力
トキメキ感やラブシーンない物語に大きな山場があるわけでもなく、淡々と進むのでこの映画は、演じる役者の演技力がものをいう映画です。
とにかく、繊細な心の機微だけを表現し続けるこの映画を生かすも殺すも役者次第なのです。
そいうい意味で主役の二人は、適役だったと思います。
永田という男は、嫌な奴でなくてはならず、主人公永田を演じた山崎賢人はイケメンだけどそのオーラを消して、汚らしいどうしようない永田を演じて本当に嫌な奴に見えました。
こういう役は、一癖もある個性派俳優が演じるのでしょうけど、永田の根底にあるピュアな感じを残すためにも後味を少しでも爽やかにするためにもやはり彼でなくてはなかったのだと思います。
だから、前半の永田でイラつかせた分、ラストの舞台シーンでは、ちょっと素敵な永田に見えて、それは、山崎賢人だからそう見えたのだと思います。
沙希を演じた松岡茉優の壊れていく様子は、オーバーになり過ぎず自然でよりリアルな印象を残しました。
永田が、傍に居るのに孤独を感じている沙希の苦しみを巧みな演技で見せていました。
喜怒哀楽の表情のどれもよくて、やはりこの映画は、松岡茉優ありきなのだと思いました。
脇役だけど伊藤沙里の主役を食わない存在感も圧巻で印象に残り、彼女の存在で、よりこの物語に深みが出たと思いました。
しぼり菜リズム
私は、又吉直樹の原作は読んでいませんが、こういう純文学を映画にするのは難しいと思います。
でも、映画では、永田や沙希の感情をうまく表現していると思いました。
ラストの二人のアパートでの会話がそのまま「セリフ」となり二人の何気ない日常が、『劇場』というタイトル通り、実は演劇(劇中劇)だったというは映画ならではで、ややもすれば退屈で鬱々とする場面が続いた分、ここでその憂さがパーッと晴れるようです。
まあ、途中で挫折しそうになるけれど、最後まで観ると面白さが分かり作品のラストで救われて、後には、いい感じの余韻を残します。
『劇場』は、公開時期を模索し、今、劇場公開しても収益も出ないと見越したのか、コロナのご時世で公開と同時にこの配信の試みは嬉しいです。
コロナが無ければ、旬なこの作品に出会えなかったです。
今回は、緊急避難的な要素があったかもしれませんが、行定監督が、日本映画の新たな試みと述べていたようにこういうの取り組みは是非とも他の映画でも行って欲しいと思いました。