ヱヴァンゲリヲン新劇場版
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズ3作(『序』2007年・『破』2009年・『Q』2012年公開)が、ネットで無料公開されたので子どもの勧めで見ました。
原作は、『シン・ゴジラ』の庵野秀明監督です。
私が見たのは、YouTube版が終了していたので『ABEMAテレビ』です。
訳が、分からない
「序・破・Q」が、1・2・3っていうのもよく分からず、実は、『Q』から見始めました。
単純に「1・2・3」でいいのになあと思いますが
「序破Q」っていうのも「序破急」という言葉由来の起承転結の三段構成らしいのも後から分かりました。
これを入門編にしたのが間違いで、アニメ版も見ていない初見の私には、初っ端から訳が分かりませんでした。
『トイストーリー』みたいに3から見てもすんなり入り込めると思ったのが間違いで、子どもにも「序・破・Q(の順)って言ったでしょう」と怒られてしまいました。
もう、この辺りで見る人を振るいにかけて選別しているかと思いました。
『Q』で、撃沈したので
気を取り直して『序』『破』の順に見ました。
それでも、「人類補完計画」って何?「使徒(しと)」っていう敵は、何者で何で攻めてくるの?ゼーレ、リリスは何なの?難解で、よく分かりません。
これどころか、意味不明のところが多いせいか、登場人物に感情流入出来ません。
これではいけない何とか子ども一押しのこの作品の魅力に迫りたいと
数多ある「解説サイト」を覗いてみるところから始めてみました。
ヱヴァ用語の学習
ヱヴァンゲリヲンに関する解説、考察サイトは、動画も含めてたくさんあってエバンゲリオンで、論文が書けてしまうのではないかと思いました。
これだけでもヱヴァには、「沼」が存在して、ディープなファンが多いことが分かります。
まず、知っておくべき「ヱヴァ用語」の学習です。
使徒
謎の生命体「使徒」が、頻繁に襲撃してきますがこの敵であろう使徒って何なのかと調べました。
ちなみにヱヴァンゲリヲンは、「福音」
「使徒」は、イエス・キリストの12人の高弟で、キリスト教を布教する重要な者達を意味します。
これは、本編の『ヱヴァンゲリヲン』で関係しているかどうかは不明です。
でも、「一つの惑星で栄える知的生命体の種は、一つであるべきで、片方を排除して、自分たちが生き残ろうとする」というのがあったので
きっと「地球」という惑星で、「使徒」が生き残るためにもうひとつの生命である「人類」を滅亡させることが自分達が生き残ることが出来る唯一の道
と解釈してもう一つの生命体である使徒が、生き残りを掛けて人類を攻めてくるのだなあとファンの考察で勝手に納得しました。
そして、使徒が、第3新東京市やNERVばかり襲撃してくるのは
「使徒は、第3新東京市の地下にあるNERV本部に幽閉されたアダムと融合してサードインパクトを引き起こし、人類の滅亡させる」
とありNERV本部の地下にある人類の滅亡のための「心臓部」を狙っていたからなのですね。
人類補完計画
でも、ゼーレとゲンドウの「人類補完計画」が何なのかは分かりませんでした。
「知恵」を持つ人類と永遠に生きられる「生命」を持つ使徒が一つになることが目的の計画。
人類に足りない「永遠に生きる」ことを補い「知恵を持ったまま永遠の命を得る(補完する)」計画っていう捉え方でいいのですか?
この解釈の違い(神になるのは使徒というNERVと人間が神になるゼーレ・ゲンドウ)で、NERVとゼーレに亀裂が入ったと考えていいのでしょうかね。
目的の違いで「ゼーレVSゲンドウ」
っていうのもあるようですが。
取り敢えずキーワードであろうこの二つと他の気になるWordや登場人物の背景を調べて頭の隅に置き、もう一度『序』からトライです。
2回目を見て、エヴァ独自の専門用語を使いわざと難解に作ってある作品だなあと確信しました。
特に『Q』は、分かりにくかったです。
難解であればあるほど喜ぶ「ドM」なファンがいるのだから、そういう風に作っているのだなあと。
使徒の目的が何となく分かったので、次からは使徒の正体(どんな姿かたち)や武器は何かなどを楽しんで見ることが出来ました。
でも、敵の使徒に敵である『鬼滅の刃』の「鬼」や「ゴジラ」のようにいい意味でも悪い意味でも「無機質」過ぎて感情流入することもありませんでした。
シニアでも【鬼滅の刃】(アニメ版)が、面白い。「虚無感」漂う世界観の中にも…
他者に干渉しない使徒は、感情を捨て、個を捨てているのですからね。
(で、いいの?)
シンジ君を救ってあげて
でも、全て見終わって思ったのは、主人公のシンジが可哀想で救いようがないということです。
国連の特務機関で働く父親ゲンドウに呼び出されて、何も説明も受がないまま命を懸けて「ヱヴァンゲリヲンに乗れ」と強要される14才。
思春期真っ只中で、「人類を守る」重大な任務を背負わされて責任は重大だし、怖いし、「ヱヴァンゲリヲン」を上手く操る自信もないし逃げ出したくなるも分かります。
シンジは、使徒は何故、敵で、何故、倒さなければならないのか。
「何の正義」のために戦うのか、疑問を解く機会を与えられないまま使徒を殺し続ける「操り人形」でしかありません。
自分の意志で乗り込んでいたとしても、究極の目的を知らないならばやはり、大人に翻弄される操り人形です。
感情や自我に目覚めた綾波レイと人の愛に触れ変わり始めたアスカも自分のために傷つけることになってしまった。
絶望の中に「希望」を見い出していくいいところまで行くのだが、今のところそうはならない。
そして、14年後にレイは、母親ユイのクローンであること
シンジのせいで「ニアサードインパクト」を起こして、東京が壊滅してトウジ達もどうなったのか分からない。
心許した、使徒であったカヲルも死んでしまい…。
シンジの体験した出来事は、残酷で救いようがないです。
そして、3作では目的のため(死んだ妻ユイのため?)に手段を選ばない毒親ゲンドウも、決して息子のシンジと向き合おうとしなかったです。
単純に「父親に認められたい。父親の愛が欲しい」だけのまだ、14才の少年だよ。
周りにまともな大人がいない中でシンジが情緒不安定なのは、思春期だからというのが原因だけではないのです。
なので、次作では、シンジは精神的に救われて欲しいです。
それは、父親、碇ゲンドウに託されているので、次作の「ゲンドウパパ」の任務は、シンジ君に少しでも「父親らしいこと」をしてあげることです。
でないと私も救われません。
究極、この作品のテーマは何なのかまだ、よく分かりません。
しかし、「人間愛」やコロナ禍で今は、分断されている「人とひとのつながり」みたいなもの
実は、エヴァは、「壮大な愛のストーリー」だったなんていうことになればなあと思います。
ストーリーが壮大になり、動きや背景の細かいところにこだわりが強過ぎて『Q』辺りで内容が薄くなっていった感がありますが最後は、レイも絡ませてシンジ君が救われれば万事OKです。
良かったところ
基本、この作品は、ヱヴァをある程度理解してる人のための映画なのですけど、初心者の私でも楽しめたところもあります。
第三新東京市のビルがせりあがってくる所などの映像の迫力や臨場感、カメラアングルの意外性、無機質な建造物や機械のメカニックフェチのような幾何学的造形美が素晴らしいです。
基本、SF、戦隊モノ、戦闘シーンが嫌いな私ですが、不謹慎ながら爆発シーンも見惚れてしまいました。
中でも日本が一丸となって「電力」をシンジに預けて(日本全国を停電させて)使徒を倒す「ヤシマ作戦」というのが臨場感があって好きです。
どれだけ多くのアニメーターが関わったのかこれが、15年も前の映像というくらいアニメーションのクオリティが高く当時、色々な作家さんに影響を与えたのだと思います。
細密で映像が美しい(『君の名は』しか見ていないけど)新海誠監督の作品の映像にも負けていないです。
ヱヴァンゲリヲンは、近未来が舞台なのにどこか昭和の香りを漂わせている東京近郊が舞台(小田原か箱根付近)で、SFが苦手な私でも好感が持てました。
ウォークマン、カセットテープ、公衆電話、電柱におびただしい電線、レトロな看板などが郷愁を誘います。
ヱヴァンゲリヲンは、「非常事態宣言」がいつ発令されてもおかしくない「非日常感」が隣り合わせの東京が舞台ですが、これは、コロナパンデミックの非日常が「日常」になりつつある今の日本を反映していて予言的で面白いです。
しぼり菜リズム
『ヱヴァンゲリヲン」は、ある程度学習して予備知識がないと訳が分からんので、初心者には敷居が高く、2回見た私でも今だに分からないところだらけです。
近未来的な中にほのぼのとした日常もあるので、SFが苦手な私でも馴染めました。
まあ、何も分からなくても映像は美しく、劇伴もいいのでそれだけでも見る価値はあります。
主人公シンジ君が、このままでは可哀想過ぎて最終回の次作では救われて欲しいです。