解離性障害
多重人格の主人公の『キールミー・ヒールミー』という韓国ドラマを観て、「多重人格」に興味を持ちました。
サイコパスでステレオタイプの犯罪者や「特殊」な人としてドラマや映画で描かれる多重人格は、実は、どういうものか知らない人が多いのでしょうか。私も実際にはよく知りませんでした。
私は最近知りましたが、多重人格という呼び名はなく、現在では「解離性障害」という精神病の中の「解離性同一障害」という病名になっています。
この解離性同一性障害の当事者が書いた漫画を主人が、たまたま持っていて本当にドラマのように色々な人格が出てきて本人を乗っ取ってしまうのかなど知りたくて読んでみました。
それが、『実録 解離性障害のちぐはぐな日々(私の中のたくさんのワタシ)』という本です。専門家の解説を交えながら自分の辛い体験をユーモラスなタッチで、可愛らしい漫画で描いています。
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まずは、この本の作者のトキンさんの紹介です。
イラストレーターであり主人公であるトキンさんは、自分の病名を知るのに長い年月が掛かりました。
原因不明の体調不良になることが多かったトキンさんは、高校生のときに症状が悪化して精神科に入院しました。
高校を中退して、カウンセラー、メンタルクリニックなどドクターショッピングを繰り返し7年後の24歳で初めて「解離性障害」と診断されました。
それから、就職、退職、入院を経て「双極性障害」もあることも分かりました。
紆余曲折がありながらきちんと病名が付いたことで、それを受け入れて客観的に自分を見つめ自分の病状を色々な人に知ってもらおうと解離性障害、双極性障害を漫画で描いた「フリーペーパー」を発行します。
このような解離性障害の当事者が発信する活動が話題になり、マスメディアに取り上げられて本書が発行されます。
現在は、病気と付き合いながら個展やライブイベントなど活動をして、漫画やイラストなどの作品を発表しています。
トキンさんの症状
トキンさんは、「子どもの頃から頭の中に別な人がいた。誰でもそうだと思っていた」というように、トキンさんには本来の主人格であるトキンさんの他に、幼い「子どもトキン」や厳しい「黒トキン」、困ったときに助けてくれる「ヒーロートキン」や全体を見ている「監督トキン」など副人格達が頭の中に住み着いています。
相手や場面によって頭の中の「別の人」達が勝手に入れ替わり、後で振り返ると、どの「私」が対処したのか分からなくなります。
なので、絵を描いても自分の絵と思えず、恋人も、「どの私が好きなのだろう」と悩みます。
解離性障害の「解離」とは、心や体の一部が本体部分から離れてしまうことで、単に「別人格」なることだけではありません。
辛いことがあったときは自分が分かれていき、前にいる自分がそれに対処して、それを後ろの自分が見ていれば苦しくなかったというトキンさんの苦しいときの対処の仕方も解離の一つです。
トキンさんの「頭の中の色々な人の声」も解離の症状です。
解離したときは、私が私でない感じ、私がそこにいるようで、いないようで…。私は、実態のない「おばけ」なのかと思うことがあるそうです。
心の症状としては、ある時間内に起きたことを思い出せない、体の症状は、突然体の機能や感覚が止まってしまったり勝手に動き出したりするそうです。
解離の症状の他にトキンさんは、双極性障害もあるので「躁」状態と「鬱」状態と気分に波があり、リストカットなどの自傷行為も行ってしまいます。
トキンさんの苦しみ
トキンさんの苦しみは、自分の苦しさを上手く伝える事ができず、何年もの間、色んな病院を渡り歩いても解離性障害と診断されなかったために「正しい治療」が受けられなかったことです。
解離性障害と特定されてもいい医者やカウンセラーに出会えず理解されないこともありました。
困難があったときは、自分が分かれて前にいる自分が問題に対処して、後ろにいる自分がそれを見ていれば苦しさは感じないのですが、あるときその辛い感情が噴き出してくるので、苦しさが消える訳ではないそうです。
(辛い感情が、「冷凍保存」されて、あるとき急にそれが溶け出すようだと表現しています。)
突然現れる人格や自分の中にある感情の人格達との向き合い方にどう対処したらいいのか。自分なのに自分じゃない感覚。自分の感情が分からなくて、もやもやして苦しいあまり「感情」なんてなくなったらいいとさえ考えることがありました。
まあ、自分が保てないのは辛いことで、「本当の私」は誰なのか。自分が自分である事が確信出来ないというのは、不安で心細い事だと思います。
喜びも達成感も掌からこぼれていくのでは、「幸福感」を得ることも出来ません。
当事者の気持ちを第三者に理解してもらえない状況を漫画で「自身の心」を花束に例えて投げ捨てるシーンとして描いていて、川の向こう岸に家族や友人達がいても届かない切ない情景として表しています。
このように、やはり自分の状況を理解されない事が一番、苦しいのではないのかと思いました。
死なないでいることだけで、すごいこと
投薬、通院、カウンセリングと解離性障害の治療を受けも受けるもよくなったり悪くなったりの一進一退ですが、「病名」がきちんとついた事で客観的に自分の状態を見るようになれました。
トキンさんは、日々様々な自分に出会い、他者と関わり、悪戦苦闘しながらも自分の障害と向き合い受け入れられるようになってきました。
家族やご主人の支えのもと「辛さを消す」のでは無く、「辛さと共に生きる」ことを模索して前へ進んでいるトキンさんです。
現在では、病気が判明していく過程や、解離状態になった時はどんな感じなのか、その間の記憶はどうなっているのかなど病気の症状や気持ち、試行錯誤して体得した病気と付き合うためのコツなど自身を客観的に観察して、漫画などにして分かりやすく第三者に伝えるという難しいことを続けています。
「とにかく生きていたらいいんだ。何よりも今この瞬間を生きているだけでいいんだ」
著書の最後で今は辛くても、生きづらさを抱えていても「死なないでいることだけで、すごいこと」なんだというメッセージを発信していて、それはどれだけの人の励みになるのかと思います。
本人はもちろん支える家族も苦しかったと思います。その中で、このような境地に行き着いたトキンや難しいときにありのまま受け入れてくれ支えた家族や友人達は真に凄いと思いました。
特殊な病気ではない
トキンさんの解離性障害になった原因が、特に描かれていませんが、幼少期、特に酷いいじめや精神的ストレスなどのトラウマがあった訳ではないようです。
学校での成績も平均的で、友人もいて、後にご主人になる彼もいて、家族との関係も良好。家族や彼も病気に対し理解を示してくれて、恵まれた環境なのに病気になってしまう。
生きずらを抱えていたりやメンタルヘルスなどの不調が、決して特殊ではないように、誰にでも起りうる病ではないかと思います。
サイコパスなステレオタイプの解離性同一障害は、ドラマで犯罪者や特殊な人として描かれることが多いです。
しかし、トキンさんの著書を読めば決してそんな人ばかりではなく、解離性障害が誰にでも起こりえる病で社会で「共存」していける病なのではないかと思いました。
多様性の一つとして
本書の解説で、解離性障害は、それぞれの人格はまったく異なった性格を持ち「特殊な才能」を持つこともあるそうです。
そういう意味では、解離性障害は、病気というよりその人の心の特殊な能力と考えることが出来るかもしれません。
「こころ」の病気は複雑で、これはこの病気と簡単に分類出来るものではないと思います。
これからの多様性社会の中では、むしろそれを「個性」の一つとして受け入れて、共存していけるのではないかと思いました。そのためには、解離性障害の正しい知識を広く知ってもらうことが必要になります。
この「多様性」と「理解」が、誰でも生きやすい世の中に繋がるのだと思います。
しぼり菜リズム
当事者の内面については分かりやすく漫画を読んで「擬似体験」をしているような感覚になりました。
「解離性障害」は、まだまだ一般的ではなく、このように専門書以外に当事者目線で描かれたものは、希少だと思います。
この本を読んで、トキンさんの苦しみがほんの少しでも理解出来て、寄り添えた気がしました。
この本で、この病気を持っている人や生きずらさを抱えている人には「とにかく生きていたらいいんだよ」というメッセージや解離性障害について偏見や無理解をなくし、正しい知識が多くの人に広まるといいと思いました。