テレビ番組、『見えず 聞こえずとも~夫婦ふたりの里山暮らし~』(NHKスペシャル)で素敵なご夫婦に出会いました。
全盲ろうあ者の妻と二人三脚で
梅木さんご夫婦は、丹後半島の里山で「自給自足」を行って暮らしています。
妻の久代さんは視力と聴力を失い、目が見えず耳が聞こえず言葉も発することが出来ません。
静かで朴訥、不器用な好彦さんとお茶目で明るい久代さん夫婦は、好彦さんが障害者のボランティアを始めたときに出会いお互い50代で結婚した「熟年カップル」です。
私達夫婦も同じ50代に結婚したということで、お二人に親近感が湧きました。
山深い丹後の村で、自給自足の生活を行っていた好彦さんのもとに久代さんは結婚以来、土と共に生きる生活をすることになりました。
不便な山での生活を好彦さんは、障害のある久代さんを常にサポートし夫婦で三脚で生活してきました。
会話が絶えない夫婦
妻の久代さんは、目と耳に障害があり会話することが出来ません。
二人のコミュニケーションを支えたのは、互いの手を握り、指先に触れ、指先の動きから言葉を読み取る「触手話」というものです。
夫婦の会話は、この触手話で行っていて、話し声こそはありませんが、夫婦の会話は絶えることがありません。触手話で楽しそうには笑い合い、冗談も言います。
普通の夫婦のように喧嘩をしたり、愚痴を言ったりします。そのように日々、夫婦は心を通わせ合ってきました。
夫婦の朝の日課は、久代さんが好きな朝の連続ドラマを見ることです。好彦さんがテレビの画面を見ながら触手輪で久代さんに画面の状況や会話を伝えていきます。
目の代わり耳の代わりになってくれる好彦さんとのこの15分が、久代さんにとって1日の最も楽しみで至福の時間になっています。
触手話の他に久代さんは、点字と音声ソフトを併用したパソコンを使ってメールを打ちます。
これで、長い文字での会話が出来るので、好彦さんが農作業のため山の作業小屋へ行ったときはそこから二人でまたおしゃべりをします。
メールでは、愚痴や弱音、心の吐露がのぞくこともあります。夫への不満も綴られることもあります。
夫婦にとって楽しいこともそうでないことも語り合い、静かだけども日がなおしゃべりが絶えません。仲がよくて、濃密な夫婦関係は、我夫婦より、心を重ね合っている気がします。
特に二人が使っている触手話は、神経を集中して相手の心に寄り添わないと正確に言葉を読み取ることが出来ません。
指で交わす言葉は、発すると消えていく「話し言葉」より深く一つ一つに「心」があるように思います。
二人の様子を見て、私達夫婦は言葉を出さなくても分かり合えると努力を怠っているなあと思いました。
幸せは一人だけのものではない
まず、番組を見て好彦さんが山での生活をやめ里に下りて暮らしていることに驚きました。それでも都会に比べれば不便な場所です。
実際に生活をしてみて障害のある久代さんにとって、山の暮らしは大変だったからです。
20年ほど前に自給自足をする人達の生活を紹介するテレビ番組で、夫の好彦さんを見たことがあります。
そのときはまだ、好彦さんは久代さんと結婚する前で、たった一人、丹後半島の雪深い山の中で有機農法で米や野菜を作り、味噌や醤油も全て手作業で作る生活をしていました。
人と会話することなく文明から切り離された人里離れた山で暮らす好彦さんは、孤高の男というイメージ。まるで「仙人」のようでした。
若い頃、武者小路実篤が主宰した農業を中心とした共同体「新しき村」で十年余りの活動をした好彦さんは、筋金入りの自給自足の実践者です。
この人の暮らしぶりには、確固たる「信念」がありその生活ぶりを一生、曲げることがないのだと当時は思っていました。
しかし、久代さんのために好彦さんの本質である自足自足の生活生活をやめて人里での生活を始めました。
ときには、久代さんと車で町に買い物に行き、食材を仕入れたり、仙人だった好彦さんにとっては考えられない生活です。
好彦さんは、自立してから50歳までたった一人で誰にも頼らず生きてきました。しかし、自分で選んだ生活でも、何か物足りないと思ったそうです。
「農業だけではなくて、人間の生活の中には、食べ物や衣食住を作っていく喜びとは別に困っている人を助けるとか。元気な間は、お互いに助け合うことも生活の中で必要」だと考えたそうです。
そして、誰かのために役立ちたいと障害者のボランティア活動を始めて久代さんと出会いました。
好彦さんが一人で生活をしていた頃には考えられないことですが、山を下りて完全な自給自足の生活をやめ久代さんとともに生きるという選択をしたのです。
「誰かのために生きる、幸せは一人だけのものではない」と好彦さんが信念を曲げ久代さんに歩み寄りました。
一番大切なものは、自分だけのものではないと。好彦さんは、そういう幸せを選んだのです。
二人で歩み寄る
久代さんは、好彦さんのために家事をしっかりこなしています。
農作業に行く好彦さんのために目が見えなくてもガスを使い毎日、お弁当を作り、いつも台所のシンクまわりもピカピカにしています。
目が見えない分、隅から隅まで手で触れてゴミひとつ残らないよう取るまめさがあります。(私より小奇麗にしています!)
久代さんは結婚以来、障害がなくとも不便で厳しい環境の中、日常生活を築くため苦労を重ねながら相当な努力してきたのだと思います。
そんな久代さんから一人で生きていたときは何かが足りない感じていた好彦さんは、人間としての「幸せ」を教わったと言います。
久代さんの天真爛漫の明るさに触れて、無口だった好彦さんは以前より雄弁になりました。聴力や視力を失い暗闇にいた久代さん自身も好彦さんと結婚して明るくなったと言います。
二人が、ともに相手を思いやり歩み寄ってたからこそ得られた幸せな結婚生活かと思いました。
夫婦から教わったこと
私達も50代で結婚し、二人の「余生」を考えると時間に限りがあります。
そんな限りある命を二人で日々、濃密に過ごしている姿が参考になりました。見えるのに見ていない、聞こえるのに聞き流しているものがたくさんあることに気付かされます。
私達には当たり前過ぎて、努力を惜しんでいることもあります。
これから高齢になりお互い体がままならないことが出てくると思います。
相手が苦しいときは、自分は幸せになることは出来ない。幸せは、自分一人だけのものではない。
幸せは、夫婦で一緒に作っていくものだと好彦さんの言葉が、老後を生きていくヒントになります。
これから梅木夫妻のように相手を思いやり、ささやかな事を喜び合い、楽しく生活出来たらと思いました。
お互いに足りないところを補い助け合って暮らしていくことこそ、夫婦の神髄なのです。
しぼり菜リズム
この3月に夫の好彦さんが病で亡くなりました。享年71歳でした。
私の生き方にも影響を与えた素敵なご夫妻ゆえとても残念です。ご冥福をお祈り致します。
好彦さんが亡くなっても久代さんは、そのまま家に留まっています。不便だけど好彦さんとの思い出の場所に居ることで二人で生きていると久代さんは言います。
二人でささやかだけど満ち足りた時間を過ごした場所で生きていくことは、久代さんにとって最も心穏やかに暮らせるのではないかと思います。