【3.11】私達は、無知だった。「津波てんでんこ」に逆らった熱海の夜

3.11

もうすぐ、3月11日です。

「東日本大震災」から7年が過ぎたのですね。

直接、震災の被害はなかったもののそのときのこと、自分の体験と教訓、津波の怖さのことなど「3.11」を忘れてはいけないと思いその日のことを書いてみました。

2011年3月11日

2011年3月11日初島に船で渡り、義母と義理の妹、主人の叔母の4人で観光に行きました。伊東から初島までの1泊2日の旅行の最終日です。

「グランドエクシブ初島クラブ」で昼食を食べ、ホテルのロビーでお土産を見ていると揺れがありました。地震です。時刻は14時46分、体感的に「震度3」くらいでした。

鉄骨のホテルの作りがしっかりとしていたので、建物自体はあまり揺れずこのときは、大きな地震だと思いませんでした。

でも、揺れが40秒くらい続き長いなあと思いました。がしかし、ホテルのアナウンスが流れ、少し嫌な予感がしました。

「初島から熱海行の船がこれから出ますので、堤防に集まって下さい。島を離れる方はこの船が、先程の地震の影響で、最終便になります。」と何度もアナウンスされるのです。

16時40分の船に乗るつもりでのんびりしていたのですが、今日中に帰れなくなるので、すぐに港に向かいました。

駆け出したり小走りに埠頭に向かう人達(主に観光客)を見て、私達もせかされ足も心持ち早くなります。

胸騒ぎがして、携帯のニュースを見ると先程の地震が東北を中心にした比較的、大きな地震だったことが分かりました。

それから、ニュースが更新されなくなり情報が遮断されていまいました。メールや通話も混線して、繋がらなくなりました。

家族とも連絡が取れず、自宅や主人や子ども、義父はどうしたのか気になります。

15時20分頃、熱海行きの船は出向しました。 通常は初島までは、熱海からフェリー(富士急マリンリゾート)で25分くらいですが、離岸して船はすぐに止まりました。

初島

先ほどまでいた初島まで泳いで行けそうな距離で、船の窓から初島が近くに見えます。熱海の市街も見えます。

船内は、観光客で一杯でしたが、どこかのんびりした様子です。しばらくして、船内アナウンスが入りました。「先程の地震の影響で、津波が来る可能性があります。津波に備えて、港(初島)に戻ることが出来ません。

熱海港も着岸出来ないので、様子を見ながら航行します。尚、津波が来ても海の上だと船の下を通過しますので、港にいるより安全です。」こんな内容だったと思います。

後で分かったことは、海の上で津波に遭遇した場合、水深が深ければ深いほど津波の高さは低くなるのでとにかく沖へ沖へと船を走らせることだそうです。

港に戻っても津波の影響で着岸できない恐れもあり、下手に動かない方がよいのです。

島を無事脱出出来たのは、よかったのですが「え~津波!」と「津波」のことは頭になかったので、少し不安になりました。

そのときは、船の中で、海を見ながらのんびり過ごすのもいいではないかと津波の怖さを知らず、まだ余裕がありました。乗客は、少しざわついたようでしたが、パニックになった人はいませんでした。

一緒に行った叔母は、泳げないので、終始頭を抱え込んで身じろぎもせず座っていました。あとから聞くと、海に放り出されたことを考えて生きた心地がしなかったそうです。

乗客の一人が、東京の住宅が燃えていると言ったのであわてて、自宅に電話をしますが繋がりません。東京に「何かあった」と不安がよぎります。

津波よりそちらの方が気になりました。船内から見える海は、何事もないように相変わらず綺麗です。時折、波に揺られて海が盛り上がるように見えます。

波の動きに沿って、旋回しているようにも感じます。ただ、大きな「うねり」は、ありませんでした。海の上は波があるので、常に揺れています。

船の舳先が、初島や熱海の方を向き、ゆっくりと船が旋回しています。熱海港に着いたのが夜7時過ぎで、辺りはすでに真っ暗になっていました。

4時間近く船に乗っていたことになります。熱海港での情報は、東海から関東の交通機関が完全に麻痺して、東京に向かうJR東海道線もストップしたままどということでした。

熱海駅に行ってもそこから家まで、帰れる保証もありません。

この日、高いホテルへ泊まった

東京に帰るよりホテルに泊まった方が安全だと思い、熱海にもう一泊することにしました。

港からタクシーを拾い「一番高いホテル」に行って下さいと運転手に叔母が言います。高いとは、料金が高いのか、高い場所にあるホテルなのか。叔母は、興奮していたようで思いついたことを言ったようでした。

タクシーの運転手にホテルを手配してもらいましたが、タクシーが着いた場所は、海沿いのホテルでした。

突然、ホテルに泊まることになったので、ホテルには夕食の準備がしていませんでした。ホテル近辺で食事をしようと街に出たのですが、熱海の街が、寂れて真っ暗でした。

人の気配もなく、静まり返って異様な感じがしました。周辺にお店はあるものの、コンビニくらいしか開いていません。

唯一、営業していたお好み焼き屋で食事を取ることが出来ました。お店でいつもこんなに静かなのか聞いてみると地震の影響で住民は、高台に避難したとのことでした。

宿泊のホテルや旅館は、地震の影響でキャンセルが相次いだとのことです。そういえば、海辺のホテルはどこも閑散としていました。

ホテル周辺は、車も人通りもほとんどありませんでした。朝、一人、浜辺の道路をランニングしている人がいただけです。食事をして、ホテルのロビーでテレビを見て、初めて地震の惨事を知りました。

次から次へと想像をはるかに超える津波の情報が、映し出されてくるのです。津波警報や注意報で列島沿岸(主に太平洋側)は、紫や赤、黄色で塗りつぶされています。

初島も「大津波警報」が発令していたようです。熱海も津波を警戒して住民は、高台に避難していたのです。

事態の大きさを知る

海

緊急地震速報が夜中に入り、不安な一夜を過ごしました。楽天的な義母は、余裕で朝も温泉に入り満喫していました。

家族の無事は、携帯電話がやっと繋がりわかりましたが私は、津波のことを考えて早く東京に帰りたかったです。幸い、震災の翌日午前中に列車に乗ることが出来、お昼には東京に帰ることが出来ました。

東京に帰って新聞やテレビ、ネットなどで情報を得れば得るほど津波の恐ろしさを実感しました。

たまたま、災害をもたらすような大津波は初島や熱海に来なかったのですが、もし大きな津波が来ていたらどうなっていたのか考えると震えが止まりません。

私達が、船に乗っている間に、三陸沿岸を中心に津波が未曾有の被害をもたらしていたのでした。

これが、房総半島を超えていたら初島も危ないし、船も無事ではなかったと思います。何よりも無知だったのが、地震の当日に泊まったホテルは、海のすぐ近くのホテルだったのです。

浜辺が、道路を隔ててすぐ前なので、津波が来ていれば完全にアウトです。津波の危険がある日に一番危ない場所に泊まったのは、津波の怖さを誰も知らなかったからです。

叔母が、一番高いホテルに行ってくれとタクシーの運転手に言ったのは高さの高いホテル(または、高い場所にあるホテル)と言いたかったのかもしれません。

叔母は、船の体験が恐ろしかったようで、しばらくパニック状態だったのです。

逆に義母や義理の妹や船の乗客は、津波の恐ろしさを知らなかったので、船の中でもパニックにならず冷静でいれたのでした。私もそうでした。

でも、知らないということは、恐ろしいことです。それが、後になってから分かったのです。

しぼり菜リズム

平和

東日本大震災から7年経ちましたが、地震も津波も何年かすれば風化してしまうのではないかと思うのです。

「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」

と言われているように大きな地震が来たら私達のように、決して、海に近づいてはいけません。

津波に関する「津波てんでんこ」は、次に人的被害が大きくならないように言い伝えなくてはならないのです。

 

ABOUTこの記事をかいた人

2017年現在57才 50代になって体に色々な変化が起きました。 アレルギー、腰痛、変形性膝関節症、脂漏性皮膚炎、手湿疹、眼精疲労、胃腸の不快感、開帳足等々一気に吹き出しました。 このほかに病気以前、未病のものもあるので 自分の体を見つめ直した生活を考えています。 健康、医療、病気、楽しいことも含めた日常生活を綴っていきたいと思います。 認定医療コーディネーター、ホームヘルパー びわの葉療法インストラクターの資格保有