実家の父は、良性の脳腫瘍で手術をすることになりました。脳腫瘍でも「髄膜腫(ずいまくしゅ)」というもので、脳の外に出来る良性の腫瘍です。
数年前にたまたま別の病気で入院したときに発見され、経過観察中でした。
しかし、最近は右足が上がらなくなり、一人で歩くのも難しい状態になり、右手も不自由になってきたので、2年ぶりに検査をしました。腫瘍は、すでに6㎝と大きくなっていることがわかりました。
脳腫瘍の周囲の組織や血管を圧迫して、脳のむくみが酷くなっていました。これ以上放置すれば、重要な神経や血管を圧迫して、年を超すことが出来ないかもしれないと医師からいわれました。
手術のリスクを考えると
父は、87歳です。高齢での手術は、リスクが大きいです。
高齢では、手術が成功しても、最終的な回復に至らない場合もあります。あらゆる器官が機能低下した高齢者は、全身麻酔のダメージが想定されます。
傷の回復にも時間が掛かり、肺炎なんどの感染症も心配されます。長い入院で、筋力が低下してしまいます。
腫瘍は、血管を巻き込んでいるため全部は、取り切れないかもしれないとのことで、腫瘍が残れば数年後に同じようなことが起きる可能性があります。
手術の前より元気になって、より充実した生活が送れるかどうか誰もわからないのです。
手術を選択した
手術をすることにしました。腫瘍のサイズが大きい。むくみが、強い。腫瘍による神経の圧迫がある。近い将来、そのために右手、右足の機能が失われて、言葉がしゃべれなくなる。
投薬などの手術をしない治療ではどうにもならない。これから予想される苦痛が、手術でないと取れない、そして、命に支障が出てしまうということで、手術以外の選択肢がない状態なのです。
本当に手術しかないのか。他に方法は?セカンドオピニオンを取るという選択肢もあります。しかし、実家から近い地元の今の病院がいいとう母の意思もあり、病院を変えるのもセカンドオピニオンを取ることも今回はしませんでした。
実際、手術以外、考える猶予もあまりなかったということもあります。
高齢者の場合、治療をしないの選択もある
父は、手術という選択をしましたが、父のように高齢の場合、手術や治療が必ずいい選択とはいえないこともあります。
治療をしたことで、QOL(生活の質)が下がり、むしろ以前より、心身に苦痛を抱えながら生きることになる場合もあります。命は助かるかもしれないけど、治療が引き金になり、どんな悪影響が出るかわかりません。
母は、それを心配しています。その治療が、父の「生きる質」を下げてしまうかもしれないのです。しかし、治療するかしないかを簡単に決めることは、出来ません。
大切な人の命が掛かっている場合、家族で意見が分かれることがあります。どんな状態になっても生きてほしい。子どもの私は、そう思います。
母は、積極的な治療を望んでいません。もし、手術がうまくいかなければ寝たきりになってしまうと。
妹や弟もどうしたらいいのかわからないようです。私もいくら考えても結論が出ません。何よりも大切なのは、父本人の意思です。父がどうしたいかが置き去りになったまま話し合っても本末転倒なのです。
母は、医者のいう通り手術をして、もしダメでも運命だからしかたがないといいます。父は、このまま(何かあって)一気に死ねるならそれでもいいといいます。でも、本心は、わかりません。
しかし、最近ふと「(東京)オリンピックは、見られるかな」と漏らしたことがあります。ああ、3年後のオリンピックを楽しみにしているのだな。と思いました。
ならば、手術して、少しでもよくなる可能性に掛けるしかないのかと思いました。本人も、1年でも余命を伸ばすことが出来るのならと手術を受け入れることにしたのです。
まとめ
父の場合のような高齢者は、積極的な手術や治療が必ずしもいいとは、限りません。
治療をしたことで、QOL(生活の質)が下がり、むしろ以前より、心身に苦痛を抱えながら生きることになる場合もあります。
治療をしたらどうなるのか、しなかったらどうなるのかを理解し両天秤に掛け、冷静な判断をします。そして、残された人生の「質」を考え、最優先にすることは、本人が「どう生きたいか」という意思を尊重することです。