BSプレミアムNHKの番組、スーパープレミアム「医師の闘病から読み解く がんを生きる新常識」を見ました。
がんを経験した7人の医師達のお話は、とても興味深いものでした。
中でも、印象深かった方の経験と医師ならではの選択について調べたことと合わせて、書いてみたいと思います。今回は、近畿大学学長の塩崎均医師です。
胃がんの権威が、胃がんになった
近畿大学学長の塩崎均医師は、2005年に胃がんになりました。塩崎均医師は、消化器がんの専門医です。胃がんの権威が、まさに胃がんになってしまったのです。
「ステージⅣ」の末期の胃がんと宣告
2005年、当時勤めていた近畿大学付属病院で、導入したばかりのPETの最初の被験者として自身を、実験台として全身撮影しました。
PETのモニターに映し出されたのは、腹部大動脈周囲のリンパ節に転移した自身のがんです。
自分の専門領域なので、モニターのがんは、進行性の悪質ながんだと見抜いたそうです。
性質の悪いがんで助かるのは、100人中2,3人というのも同じ症状の患者を何百例も手術したから知っていました。
「pen型」といわれる深く進行する胃がんで、後輩の医師からは「ステージⅣで、手遅れ」と末期がんを宣告されます。
胃がんの権威のした選択
何も治療せず、残された人生を生きよう。
と最初は、助かる見込みのないがんになり考えたそうです。
しかし、医師としてこれまで歩んできた道を全うするためにも、「がんに打ち勝つ努力をすべきだ」というように日ごと新しい考えが、浮かんで来るのす。
そして、「新しい治療法」にトライしてみようと決意をしたのです。
その治療法は、前代未聞の治療法です。抗がん剤とIMRTという当時、最先端の放射線でがんを小さくし、残ったがんを手術する方法でした。
IMRTは、がんに対してピンポイントに当てるごとができるので、周辺の臓器へのダメージを最小限に抑えるごとが可能です。
しかし「胃に穴が開く」と放射線科の医師に反対されました。
抗がん剤も効きにくく、リスクを伴うこの治療法が、胃がんに対する「標準的な治療法」ではなかったからです。
このように、自分が実験台となる命懸けの治療を行ったのは、何人もの患者を救えなかったです。
「同じ症状の患者を助けられなかったのに、死ぬわけにはいかない」と自問して、究極の選択をしたのでした。
敬天愛人
仕事をしながら抗がん剤と放射線治療を塩崎医師は、1か月行いました。
そして、奇跡が、起こったのです。PETの画像から、がんが消えていたのです。
その後、胃の切除手術を行い、現在も再発はありません。
この経験を経て、西郷隆盛の「敬天愛人」、「天を敬い、人を愛す」という言葉が、降りて来たそうです。
一度死に瀕しながら生き延びた西郷自身、達した境地の言葉です。
「天が自分を生かすならば、まだやるべきことがある」という意味を含んだ言葉で、自分のためではなく、医師として患者のために生きようという使命に目覚めたそうです。
「どう生きたいか」を見る医師になった
その後の塩崎医師は、食道がん手術の声帯温存法を開発し、世界的功績を残しました。
従来は、食道とともに咽頭を切除しますが、がんのある食道のみを切除し咽頭を温存し声を残すといものです。
「声を失うことは、生命を失うことに等しい」と一人の患者さんの言葉がきっかけだったそうです。
自身が行った、胃がんへの放射線治療の研究も続けられているそうです。
がんを経験して、いかに生きるかを考えるようになった。
生還して、「どう生きたいか」を見る医師となった。といいます。
すなわち、人それぞれの生き方の中に大切にしているものがあり、それを理解をして、医者として接するべき。残された命を「どう死ぬか」ではなく「いかに生きるべきか」に集中しようと思い至ったのです。
患者に対して、医師は「死に様」ではなく「生き様」の最期を手伝うのが、医師として使命だと至った境地とのことです。
どんな患者に対しても、本音で語って、その人にあった医療を見つけること。
それぞれの患者に合った治療方針を立てていくことが大事で、その人がその人らしく人生の幕を閉じることが出来るように最大の配慮をすることが、医師としての自分の役割だと思い至ったそうです。
まとめ
胃がんの権威、近畿大学学長の塩崎均医師は、末期の胃がんになり自らが実験台になり新しい治療法で、がんを克服します。
命拾いをし、天が命を与えてくれたなら、自分のためではなく患者のために生きることを決意しました。その後、食道がんの世界的に認められる新しい治療法を開発しました。
がんを経験して、「どう生きたいか」という患者の生き様の最期を手伝うことが、使命だと医師としての境地に至ります。
患者一人一人にあった医療を見つけ、治療方針を立てていくことが大事だと、現在も医師として進むべき道を歩かれています。