末期がん患者、在宅での看取り
医療コーディネーター講座の授業で、末期がん患者の看取りのお話を聞きました。病院で最期を迎えるのか、住み慣れた自宅で最期を迎えるのか。
もしあなたが、がん末期で余命宣告された場合、どこでどのように過ごしたいか。どこで、看取られたいか。
厚生労働省「厚生労働省 終末医療に関する白書」(平成20年)によると、自宅で最期を迎えたいが63,3%ですが、実際に病院で亡くなったのは、66,2%です。
約6割の人が病院で、管に繋がれて延命治療をしたくない、自宅で最期を迎えたいと思っているのですが、実際に自宅で亡くなった人はその半数に足りません。
自宅で最期を迎えたいと思っても、家族の協力やそれをサポートする人達(ヘルパー、看護師、訪問診療医師)の確保の難しさや本人の家族への遠慮といった障壁が、この数字に表れているのかと思われます。
家に帰れない患者はいない。
在宅での看取りについてまず、「自宅での看取りは可能なのか」ということが挙げられると思います。
要町ホームケアクリニック 院長の吉澤明孝医師は、最期まで自宅で普通の暮らしをすることが出来、家に帰れない患者はいないと言います。
また、大腸がん末期の85歳一人暮らしの方を自宅で看取った例も介護事業者の方から紹介されました。
在宅での看取りには、家族の在宅での看取り教育、準備や緩和ケア(痛みのコントロール)、急な変化への対応とそのサポート体制の確保がないと出来ません。
家族の理解と協力、寄り添いも必要で、家族の負担も少なくありません。一人暮らしの場合の看取りは、訪問診療医、看護師、ヘルパーなどになりその後方支援も必要となります。
それらをクリアすることは、大変なことではありますが、家族次第で出来ると吉澤医師は言います。
24時間対応の在宅医療を行う医療機関、訪問看護ステーション、介護サービスも増えています。今後医療、介護、看護が三位一体となれば可能になると言います。
自宅で旅立った例
授業で、自宅で死を迎えた例(末期のがん患者)が紹介されました。
賑やかなことやお酒の好きなAさんは死亡の前日、親せきや家族が大勢集まり、宴会をして最後まで楽しく過ごした。前日子ども、孫など家族が自宅に集まり一人一人話をしお鮨を食べて過ごした。
夜明けに「自分は、寝るから」とお別れをして部屋に戻り、それが最後で意識低下し旅立ったBさん。お風呂が好きで、自宅に帰ってから可能な限りお風呂に入っていたCさん。
一人暮らしのDさんは、本人の意向のみで生活。亡くなる10時間前までトイレに自分で行き、食事も取ろうとしていた。看護師訪問後に亡くなる。
皆、最後まで日常生活を送り、同じ生活パターンをしていたと言います。
数年間前に義理の父が85歳で亡くなったのですが、就寝中に亡くなり朝、家族が発見しました。前日は、自分で買い物に行き好きなバナナを購入していました。
夜中に一度トイレに起き(家族が確認)、それから就寝。そして、同じ部屋で寝ていた家族にも気付かれずに亡くなったのです。
亡くなる寸前まで、体力の衰えはあったもののいつも変わらぬ日常生活を送っていました。突然、亡くなったので、本人は悔いがあったかもしれません。
病院より自宅で過ごしたいといことを家族から聞いたことがあり、そういう意味では、誰の手を煩わせることもなく自宅で旅立ちを迎えることが出来たのは本望だったのかもしれません。
日常生活の延長上の死は、その人がその人らしく生きて、亡くなることが出来たといえるかもしれません。
授業の中で、自分で選んだ終末期を過ごした方達は穏やかな死、自然な死を迎えることが出来たとの言葉が印象的でした。
どう生きたいか
「どう亡くなりたいのか(どういう最期を迎えたいか)」ということは、イコール「どう生きたいか」ということです。
このように在宅ばかりではなく、病院での最期を希望する方もいます。
要は、自分で医療や介護は選択することが出来、それがその人らしい人生を生きることだと思うのです。「亡くなること」は「生きること」であり、それがどう最期を迎えたいかということでもあるのです。