実家は、老々介護
月に一度、両親のいる実家に妹と行きます。
86歳の父は良性脳腫瘍、心不全、骨粗しょう症の病気があり、足の浮腫み、逆流性食道炎による貧血などの症状があります。
父は、数年前に胸部圧迫骨折をしてから急激に体が衰え、最近では歩行が不安定で家の中で手摺を伝って歩いています。
一人で外出することが出来ず、週に一度のデーサービスと病院通いの他は、家の中で生活しています。
父は風呂とトイレは、自分で出来るのですが病院には車椅子で、83歳の母が介助し通院しています。
父は、食欲はあるのですが下痢をしやすく油の多いものや消化の悪いものは食べることが出来ず、1日3度の食事作りに母は気を使います。
母も心不全を患っているので、無理は効きません。
とことん話を聞く
私も妹も自分の生活があり忙しくなかなか実家に行けなかったのですが、最近は父の病状や母のことも気になり月に一度二人で行くことにしました。
両親の好きな食べ物や夕食の惣菜を買って訪ねます。
実家では、特に何かをする訳ではありません。
ただ、二人の話をよく聞くようにしています。
父に体の具合を尋ねるのですが、話をしていると愚痴に変わっています。
普段無口な父ですが、このときはよく喋ります。
その話は、「うち(母)のが口煩い」と言うのが主な内容です。「うちのが、(夜遅く寝るので)早く寝ろ」「うちのが、チョコレートを食べるな」とか「水道の水をきちんと止めて」…。
母も同じで、「冷蔵庫に入れておいたチョコレートを勝手に食べてしまう」「夜寝ないから、ご飯食べながら寝てしまう」「電気、ストーブ全部つけて寝ている。光熱費が高くて大変」などです。
母は、疲れたとはあまり言わないのですがやはり父の食事の用意や家のこと、病院の付き添いで毎日忙しいと言います。
こういうときは、父や母の話をただ聞いています。
話をよく、聞くようにしています。
24時間ほぼ家の中で、母と二人顔を合わせながら生活をしていると喧嘩も多くなります。
特に社会との接点が少ない父は、私と妹以外に愚痴を言う相手もいないので、ストレスの捌け口もなく溜まっているようです。
話をしているうちに父などは、段々とスッキリとしているように見えます。
共感する
母の愚痴を言う父に「お母さんは、気が強いからねえ」と言い、「お母さん、大変だよね。よくその年でやっている(頑張っている)よね」と妹と母に話をしそれぞれの話に共感するようにします。
人は、承認欲求とともに共感欲求というのがあります。
私などは共感欲求が強く、それが満たされるとある程度満足するので、なるべく父や母の話を否定せず、共感するように心掛けるようにしています。
「寄り添う」こと
医療コーディネイトの現場では、まずクライアントの話を聞くこと「傾聴」が重要視されます。
話を聞くことで、クライアントどうしたいかということを知ることが出来ます。
そして「どうしたいか」「どう生きたいか」「どういう自分になりたいか」を知り、クライアントと一緒に問題を解決していきます。
相手に寄り添うということが、とても重要視されるのです。
父の話を聞いていると、悩みを知ることが出来ます。
何気ない日常会話の中にも悩みや問題が分かることもあります。
話すことで心が軽くなる効果もあり、父などは話した後はスッキリとしたような顔に見えます。
父は、月1回私たちが来るのを楽しみしているようです。
母に怒られたときなど「今度、しぼり菜に言いつけるから」なんて母に言ったりしているようです。
まだ、父もある程度自分のことは出来ますが、母の手だけでは間に合わなくなるのは時間の問題かと思われます。
実家に行ったときは、特別なことは何もしないのですが父や母の話に耳を傾けるようにします。ととことん話を聞き、共感するよう心掛けるのです。
こんな形での「寄り添い」というのもあるのではないでしょうか。